三十五年前
私は高校を卒業して歯科衛生士として、衣笠校前(平野神社ななめ前)の内富歯科医院で働きながら、立命館大学の二部で四年間過しました。
昼間は、歯科医療の現場で働き、六時になったら、まっしぐらに授業にとんでいきました。
夜間は、色々な職種の人々、公務員・自衛隊・看護婦さん・ケーキ職人と・・・。
皆んな必死に勉強していたなァ・・・って感じです。
もちろん体育の授業が、八時ぐらいから 若かったから出来たのかなァー。バレーボール、バスケットでもチーム力はすごくたのしかったです。
私は立命館大学が近かったので昼間、歯の治療に来てくださった先生方も多く、「先生しっかり歯を磨いて下さいよ」って食堂で話したり、卒業論文をみてもらったりと、先生とも色々な社会問題や将来について話したと思います。
京都の風土を調べる事が、すごく好きだったのでよく自転車であちこち調査に出かけました。土日は、クラスメイトと京都の史跡やお寺によく出かけました。卒業後も京都検定を受けています。(なかなか一級が受かりませんが・・・) 卒業論文は、史跡「御土居」。私は「御土居」が永遠のテーマです。
仕事を退職しましたら、もう一度立命館大学の聴講生になりたいです。
夜の授業が終るのが、九時半頃その後十二時頃まで、京都の歴史を勉強したり、バス停近くのベンチで話をしたり、家に帰るのは、いつも十二時近く、よく四年間体力が続いたなァーと思っています。
勤務先の医院の院長先生のご理解の基、いろいろお世話になりながら卒業出来たと思っています。
卒業論文がなかなか進まず、歯科医療での昼休み休憩、スタッフ全員に写真の整理や、地図の写しを手伝ってもらった思い出があります。
立命館大学で過した四年間は、本当にたのしく、有意義な時間でした。
夕方は、いつもきつねうどんでした。
お汁が自由に入れられ、ねぎもたっぷり!もう一度食べてみたいです。(80円ぐらいかなァ)
三十五年前の思い出です。
本当によく勉強しました。
一期一会
末川博先生との出会いそして別れ
私と末川博先生との出会いは、先生の自叙伝、岩波新書『彼の歩んだ道』です。当時私は高校3年生で大学受験を迎えながら「人生問題」に悩み、受験勉強どころか「生きた屍」のような毎日を送っていました。
人生に悩む私を見て6歳上の兄が一番気遣ってくれ、一冊の本を与えてくれました。それが末川先生の『彼の歩んだ道』です。その本のどこに私がひかれたかと言いますと、先生が第三高等学校在学中、18歳のときにやはり「人生問題」に悩んだと書かれていたからです。そしてそこに書かれていたことは、私が体験したことと同じような症状で、末川先生がすごく身近に感じられました。
先生は「人生は無意味だ」と思い、三高をあとにして郷里の山口県に帰られたのですが、1年後発奮して三高に戻られ、その後京大、大学院、京大教授、立命館総長という人生を歩まれました。先生はその本の中で、「人間というものについて考え悩んで一年を棒にふったことは、私の人生行路にとっては、ムダどころか、実にありがたい体験であったように思う。」「苦しむ時には苦しむがよい。悩む時には徹底して悩むがよい。迷うときにはとことんまで悩むがよい。だが、どんなに苦しみ迷うても、自殺だけはせぬがよい。若い諸君は、そのとうとい未来と生命だけは大切にして、生きて生きて生きぬかねばならない。」と書かれており、私は大きな勇気と光明を与えられました。
立命館大学は東京で受験できましたので、翌年私は親に内緒で受験しましたが、その日は珍しく東京は雪でした。そのあと2月下旬に第一志望の京都大学を受験するために上洛しましたが、その日も雪でした。
3月5日に京大の受験は終わりましたが、市内は一面の銀世界でした。その日の午後私は先生のお宅に突然お邪魔をしました。先生は運よく在宅で、見も知らぬ私を書斎に通してしばらく私の話を聞いてくださいました。私は先生との面会に感動し、立命館大学法学部に進学することを決意しました。
その後私は紆余曲折を経て高校教師となり、一昨年41年間の高校教師生活に終止符を打ちました。24年前からは大学でも教職科目を教えるようになり、それは現在も続いていますが、どの科目を担当する時もその根底になっているものは末川先生から教わった「生きることの大切さ」「学び続けることの大切さ」です。私は高校3年生の「最後の授業」で私が体験した「人生への懐疑」「末川先生との出会い」などの話をするのですが、毎年、何人もの生徒が「私も人生に悩んできましたが、先生の話を聞いて安心しました。生きる勇気が湧いてきました」と感想を述べてくれました。
1977年2月16日、末川先生は永遠の眠りに就かれました。その朝、東京は珍しく小雪がちらつきました。先生の告別式の日、京都はかなり冷え込みましたが、出棺時、先生の棺の上ににわかに激しい雪が降りそそぎ、参列者の悲しみを一層深めました。