学生時代に通ったお店・お気に入りの場所など、
あなたの思い出の場所を投稿し、
立命館大学校友会のオリジナルマップを作ろう!
※現在は閉店しているお店の投稿も可能です。
学生時代に通ったお店・お気に入りの場所など、
あなたの思い出の場所を投稿し、
立命館大学校友会のオリジナルマップを作ろう!
※現在は閉店しているお店の投稿も可能です。
講義前、講義後のたまり場でした。
小腹の空いた時、近くの定食屋から出前してもらった「焼きそば」が絶品でした。
当たり前ですが、賭けマージャンなどする余裕はなく、
場所代金の支払いはきっちりとしていました。
現在のイスラーム文化センターがあるところかな?
京都御所グラウンドでのソフトボール大会
私は大学時代の4年間(昭和50~54年)古美術研究会に入り、仏像鑑賞のため奈良・京都・滋賀などの古寺巡りに多くの時間を費やした。なお古美研では飲み会も多く、また他の女子大との合同見学会も行ったり、写真のように6月と10月にはソフトボール大会なども開催したりした。
新歓コンパの洗礼
昭和50年5月、立命館大学古美術研究会の新歓コンパがここで開催された。会場は2階の大広間、会場内には2回生以上の先輩諸氏が鎮座。うら若き1回生の私は緊張と漠然とした不安を抱きながらも、上回生の「駆けつけ三杯」という言葉に乗せられて、慣れない日本酒を痛飲。結果、見事に撃沈!!
立ち飲みの思い出
昭和50年、1回生の時、クラブの先輩がアルバイトをしていた居酒屋「伏見」にクラブの仲間3人で行く。記憶が正しければ、立ち飲みだったと思う。まだほとんど飲んだことがなかったハイボール(トリス?)をあっという間に3杯。仲間二人はピンピンしていたが、私は店を出た途端、あっけなくダウン。
店内の落書きがアート!?
大学1回生の昭和50年(1975)、高校の同級生で同志社に入ったS君に誘われて「静」に初めて入る。S君は先輩の紹介で「静」でバイトをしていたのだが「ちょっと変わった店だからぜひ来て」とのこと。なんと店内の壁の至る所には、京大・同大などの学生による落書きがびっしりあって唖然!!
色んな匂いの混じった広小路学生会館
田舎(男子高)からのポットした新入生。正門前で呼び止められ何気なく入った童研。・・女子の多いのにドギマギ。・・それからは講義がなくても部室に顔を出してました。あの頃の皆な元気かな?あのザワザワが懐かしい。1963年だった。
学生で賑わった洛北のシネマサロン
入館料は学割で200円か250円だったと思う。土曜の夜はオールナイト。3~4本だて。高倉健・鶴田浩二・藤純子の任侠もの、梶芽依子の女囚さそりシリーズ、秋吉久美子大会など、館内は学生で一杯だった。早朝、下宿へ帰る学生が東大路をぞろぞろ。
寮歌の由来
明治維新で活躍した父子・三條実萬と三條実美を祀る神社。京都三名水のひとつである染井の井戸や、萩の名所で知られる。旧広小路学舎にほど近く、境内の能舞台で合宿した学生もいたという。「夕月淡く梨花白く」という寮歌の冒頭の歌詞は、この神社名にちなんだもの。
もうひとつの校友ロビー
衣笠一拠点化完成以降すっかり様変わりした広小路界隈において、今も営業を続ける希少な一軒。軽音楽部、野球部、メンネルコールなど現役時代を懐かしんで訪れるOBが多く、店内には会報「りつめい」のバックナンバーも常設。校友ロビーさながらの温かさで広小路世代の校友を迎えてくれる。
能楽部ゆかりの寺
法然上人25霊場の23番霊場。かつて稽古場を持たなかった能楽部は、同寺の大方丈を借りて稽古をしていた。その感謝を気持ちを込めて、2012年春に能楽部OB会の有志が江戸時代以来途絶えていた幻の謡曲「泣不動」を復興奉納。翌年には舞や囃子を加えた能として上演した。
立命館草創の地
かつて料亭として親しまれた清輝楼。1900年、中川小十郎はこの清輝楼を仮校舎に、立命館大学の前身・私立京都法政学校を創設した。1901に広小路新校舎に移転するまでのわずか1年間であったが、立命館草創の地として東三本木通沿いに記念碑が建てられている。
立命館学園発祥の地
現在は京都府立医科大の敷地となっている、かつての広小路学舎。京都法政学校の新校舎として清輝楼から移転した1901年から、衣笠一拠点化が完成する1981年までに10万余名もの校友を送り出した。1905年に清和普通学校として出発した附属中学も1922年までこの地にあったことから、学園発祥の地とされる。
荒神橋のたもとの喫茶店
映画、ドラマの撮影にも使われた喫茶店が、2015年6月、約60年の歴史に幕を閉じた。広小路学舎のあった頃は一杯50円の珈琲に学生が列をなしたという。近年は同窓会後に訪れる校友も多く、 「来年もよろしく!」との声に励まされてきたが、とうとう...と閉店間際の店主は残念そうに語った。