友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
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第1回クイズ立命オープン(1984年)
立命館大学が、かつて「クイズの名門」と呼ばれていたことをご存じだろうか?
立命館大学クイズソサエティー(RUQS)が、伝説のクイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」で1987~89年に3連覇して以来、全国からクイズ好きが立命館大に集まり、1990年代には大学日本一ともいわれる実力を誇っていたからだ。
だが、そのRUQSも最初から順風満帆だったわけではない。1982年12月に法学部1回生6人で結成したものの、なかなか実績をあげられず、1984年9月にはメンバーが3回生8人だけとなってしまった。そこで全員で話し合った結果が、「学園祭で大々的にクイズ大会を開催し、それを花道にRUQSを解散しよう」というものだった。
私はさっそく学而館の地下にあった学園祭事務局に赴き、クイズ大会開催の希望を伝えた。すると、企画の締切は翌日だという。あわてて企画書を手書きでまとめ、翌日改めて提出しに行くと、今度は一応預かっておきますとの返事。たぶん、学園祭の企画はすでにあらかたまとまっていて、事務局はいまさらクイズ大会なんかに興味がなかったのだろう。この段階では、クイズ大会が日の目をみる可能性はほとんどなかった。
ところがその一週間ほど後、学園祭事務局から連絡があり、急にクイズ大会を開催することになる。どうも予定していた企画が飛んでしまい、唯一の代案として浮上したのがほかならぬクイズ大会だったらしい。そのおかげで、クイズ大会は学園祭のメインステージだった以学館前ステージで、1984年11月4日の午後半日をまるまる使って行われることになった。全体を2部制とし、第1部を大学対抗クイズ、第2部を一般参加のクイズ大会とし、名称も「クイズ立命オープン」と決まった。
大学対抗クイズは、RUQSと京都大学クイズ研究会(ZZZ)、京都産業大学クイズ研究会がそれぞれ4人の代表と早押しクイズ100問を用意し、3大学の三つ巴戦により勝敗を決した。わがRUQSも善戦したが結果は1勝1敗となり、京大ZZZの後塵を拝した。一方の一般参加クイズにも、数百人の来場者がその場で参加し、○×クイズからさまざまなクイズを経て決勝の早押しクイズまで、大盛況の内に幕を閉じた。元々代案にすぎなかった「クイズ立命オープン」が大成功を納め、翌年からは学園祭の名物イベントのひとつとして、長きに渡り開催されることになるのである。
元々解散記念だった「クイズ立命オープン」で自信を深めたわれわれRUQSは、メンバーを募集してリスタートを切り、クイズ立命オープンとその前後のさまざまな出会いも相まって、翌年から急成長を遂げることになる。「もしあのとき、クイズ立命オープンがなかったらどうなっていたのか?」と、今でもときどき思い出しては、懐かしんでいる。