友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
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校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
卒業式なき卒業証書授与
理想は高く姿勢は低く、いつも心に太陽をもって、
ゆっくりとがっちりと、理論を貫いて実践に生き、
実践を通して理論を究め、前へ前へと進もう。
未来を信じ未来に生きる、君の洋々たる前途を祝して
末川博
私は学園紛争さなかの1969年に卒業した。あれから半世紀の歳月が流れたが、今も末川博総長から卒業証書とともに授与された色紙は黄ばみがかっているものの、都下の拙宅の玄関先に飾っており、未熟な私を激励してくれている。そればかりか、卒業後、新聞記者になったあと、30年近く研究生活を送っているが、毎年、卒業式を迎えた教え子に「未来を信じ、未来に生きる」というこのお言葉を贈らせていただいている。
当時、アメリカのベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)への軍事介入による北ベトナム(ベトナム民主共和国:現ベトナム社会主義共和国)への攻撃(北爆)、および第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)直後、アメリカをはじめとする連合国側との間で締結されたサンフランシスコ講和条約と同時に締結、発効した日米安全保障条約にもとづき、沖縄県に駐留することになった在日米軍基地からアメリカの爆撃機が北爆のため、出撃したこともあって、その返還を求める学生運動(学園紛争)に対し、政府は全国の大学の教育や研究、管理運営に干渉したため、学問の自由や大学の自治を守るべく、全日本学生自治会総連合(全学連)による抗議活動がわが母校でも展開された。また、母校の元広小路キャンパスの存心館に立てこもり、バリケードをつくって封鎖、政府に抗議する過激派の学生たちを構内から排除すべく、大学当局はやむなく警察の学内への導入を要請した。このような学園紛争は全国の大学で繰り広げられたため、政府はこれに乗じ、大学の管理運営や授業料の値上げに乗り出すことになった。
そこで、入学した当初から卒業するまでの4年間、全学連、または過激派のいずれかのグル―プに関わった学友もおり、一時、中立を保った私は彼らから「日和見主義者」などと批判された。とはいうものの、その後、過激派の考え方にはついていけず、全学連や大学側の立場を貫き、政府の大学への干渉を批判したことは今までも正しかったと自負している。
おかげで、わが母校も卒業式は学園史上初の取り止めとなり、卒業式なき卒業証書の授与、それも自宅への郵送だったと記憶している。
あれから半世紀の現代、平均寿命が延びて「人生100年時代」といわれるようになったが、70代の大台に乗った今、残りの人生は少なくなったが、末川博総長のこの「未来を信じ未来に生きる」なるお言葉は私にとって生涯にわたる座右の銘となっている。