友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
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校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
授業と先生の思い出
地理学専攻だったので、正課や地理学研究会で企画される、観光では行かないようなエクスカーションに何度も参加した。奈良盆地の環濠集落、奥丹後半島の間人集落、浜名湖のうなぎ養殖場、栃木県烏山の関東ローム層、信州伊奈谷の扇状地地形、淡路島の漁村、岡山・広島北部の製鉄(たたら)遺跡等々、のちの中学社会科教諭や家庭での話題作りに多いに役立った。山口平四郎先生からは「人文地理」「世界地誌」など4講座を受けたが、ある授業で、先生がスイスの交通の研究旅行中、ホテルでフォークとナイフが上手に使えなくて周囲の客から笑われた時、自室から持参した箸を使って素早い速度でグリーンピースを食べ、驚嘆の眼で見られたエピソードは今でも記憶に新しい。亀井節夫先生の「地理特講」では、東京地下鉄掘削現場から発掘された頭蓋骨を風呂敷包みで持参されたたり、さっきまで指揮を執られていた帯広のナウマン象発掘現場での写真を見せていただき、研究の最前線を感じさせていただいた。また考古学関係では、立命館大学の卒業生など、大変偉い先生方が来講されていた。市内平安高校からは田辺昭三先生、先輩ではないが近くの鴨沂高校から藤沢長治先生など、錚々たる先生方がご来講いただいていた。「日本史概説」の林屋辰三郎先生からは、弥生時代から平安時代ぐらいまで教わったが大変美声のやさしい声で、地理学科助手の先生が用事でお宅へ電話した時、出られた声を聞きお嬢さんと間違えたそうである。北山茂夫先生からは、万葉時代を中心とした「日本史特講」を受けたが、大変迫力のある講義で、板書の字はけっして上手とは言えなかったが、チョークの破片が学生の席まで飛んできたことを記憶している。関学から来ていただいていた永島福太郎先生は、「古文書学」の大家で、卒業後古文書の解読で困ったことがあればいつでも聞きに来なさいと言っていただいた。日下雅義先生のたしか「自然地理学」の講義でのことだが、不動産を取得するときの注意点として、「まずは梅雨の頃の現地を見なさい。」、「第2は高速道路や新幹線の山側は地下水脈が切断されているから水没する恐れが高いのでやめなさい。」との教訓をいただいた。その後真新しい団地が水没しているのを見るにつけ、納得している次第である。
最後に、末川総長の思い出で締めくくりたい。法学専攻ではないので講義を聞くことはなかったが、学内で催されている講演会にはできるだけ参加した。あの白っぽい上品なお顔が、熱を帯びると紅潮し、いつも感動してお聞きした。一番憶えているのは、「人生3分論」である。「当時の平均寿命から考え人生を75年と仮定し、最初の25年は親のすねかじりで勉学に励む。次の25年は社会のため、家庭のために頑張る。最後の25年は自分の好きなことをして過ごす。」というものである。私もこれを実践し、現在70歳を超しているので、あと5年好きなことをして過ごしたいと思っている。