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立命館の仲間と昭和の下宿生活

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周田 光芳さん
1980年卒/文学部史学科
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2017.7.31
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立命館の仲間と昭和の下宿生活

立命館大学に合格し,最高学府での歴史を学べると喜び勇んで広小路の門をくぐりました。学問レベルの高さに比べ,食生活は地下の生協食堂で昼は肉うどんだけ,朝晩は食べないことも多く,なんとも貧相な一人暮らしでした。しかしこの下宿生活で多くの仲間や友人に恵まれ,貴重な青春時代を送ることができたのです。
下宿は知人の紹介で土地感がないまま右京区嵯峨野の四畳半でスタートしました。大学に通い始めて,なぜこんな遠くに住んでいるのか疑問に思いましたが,下宿仲間が楽しかったので三回生になって引っ越すまで二年間も住み続けたのです。当時の同居人のメンバーは,立命館経済,同志社経済,府立医大,京都外大,嵯峨美短大,などの面々でした。出身地も年齢も様々で,私の広島以外に福岡,奈良,島根,三重など各地の方言が飛び交っていました。私が広島と聞いて,映画の影響(仁義なき戦い?)なのか広島弁を教えてくれと催促されたこともあります。何しろトイレもガス台も風呂も共同だったから,自分の部屋はあってもみんなで一緒に住んでいるという感じだったですね。ガスは専用のコインを入れると一定時間使えるという代物で,これも人のコインをみんな勝手に使って煮炊きをしていました。当時は娯楽が少なかったので,夜な夜な誰かの部屋に集まっては「徹マン(徹夜で麻雀)」。タバコもみんな吸っていたので,ろくすっぽ掃除もしない部屋の中は,まるで爆撃を受けたばかりの戦場のような状態でした。腹が減ったら誰かの部屋の炊飯器に残っている飯を勝手に食べていたという思い出もあります(ごめんなさい) 。
通学は丸太町通りを広小路キャンバスまで原付バイクのダックスホンダで通っていました。ちょうど左京区永観堂に住んでいた大学の仲間が同じバイクだったこともあり,お互いの下宿を行き来していたので,いつしか「丸太町ダックスライン」などと洒落たネーミングをつけて交流を深めました。永観堂の下宿は立命と同志社でしたが,これがまた時代物の素敵な?下宿で,見た目は築百年近くの歴史を感じる建物です。ここも私の嵯峨野の下宿と同じで,まさしくみんな同じ釜の(人の)飯を食べるという環境です。あまりに勝手に食べるので,あるとき一杯五十円ねと催促する仲間もいたほどです。風呂は錦林車庫の近くに格安の銭湯があり,みんなでよく出かけました。徹夜麻雀も日常茶飯事で,いったいいつ大学に行って勉強していたのか分からないほど仲間たちとの付き合いは深いものでした。おかげで,卒業して四十年近くになろうかというのに,いまだに日本各地のどこかで集合となれば数人すぐ集まるほど強い絆で結ばれています。立命館での青春の日々は,学問以上に大きな学びを仲間から得た時代だったといえるでしょう。

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