友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
私の下宿生活
昭和56年4月、私は立命館大学文学部史学科日本史学専攻に入学した。
最初は、実家の尼崎市より片道2時間かけて通学していた。しかし、朝夕のラッシュと移動時間の長さに辟易し、2回生の冬から下宿をすることにした。
京都らしい所、隠遁生活のイメージ、ということで探しだしたのが京都市右京区嵯峨、嵐電「車折駅」近くの下宿であった。1階が旋盤工場、2階が3部屋の小さな下宿で、3部屋のうち4畳半の1つが空いており、家賃は月1万5千円で電気代は実費、共同トイレと共同炊事場で洗濯機が1台あった。
下宿人は立命の経済学部2部に在籍の4回生のSさんと龍谷大学の哲学科3回生のKさんであった。どちらも私を快く歓迎してくれ、あれこれと近所の生活情報を教えてくれた。
下宿を始めてから大学の友人が頻繁に訪ねてくるようになった。そんな友人達と私の部屋でたまに開催する餃子パーティーは楽しい思い出の一つである。当時、餃子の王将は、新学期や新店舗オープンの際に大学の正門周辺で、京都市内の各店舗の餃子無料券を封筒に入れ配布していた。バイクに乗っている友人がそのタダ券を集めて各店舗から餃子を調達し、それを我が下宿で焼いて食べる、という、つつましくも学生らしい“パーティー”であった。
また、試験の時は友人の下宿に泊まり込んで、一緒に勉強もした。冬の夜、底冷えの京都にチラチラと雪が降り積もると、誰が言い出したか「金閣寺に行こう」と勉強そっちのけで、絵葉書によくある“雪の金閣寺”を見に行ったりした。
アルバイトも下宿をしたことでいろいろ体験した。中でも祇園祭りの曳子のバイトは京都の学生ならではの経験であった。町衆の衣装に着替え、巨大な鉾をエンヤラヤの掛け声と共に曳いていく。四条河原町の交差点では、竹を敷き、水をバシャバシャとかけて、鉾を回転させる「辻回し」も実演した。
日当も5,000円と当時としてはよかったと思う。秋には時代祭のアルバイトにも参加し、延暦時代の甲冑を身にまとい、太鼓を叩きながら歩いたりした。これも忘れられない思い出である。
下宿では先輩3人と熱い(?)討論もしばしば行った。テーマは「生き方」「学問」「人生」など、今なら赤面する内容であったが、血気盛んな若者はそれぞれの思いを熱く語ったものであった。
卒論作成時には炬燵にかじりつき、昼夜逆転の生活を体験。何とか仕上げて、ぎりぎりで卒業できた。
携帯電話もパソコンも無い、昭和の終わり頃の学生生活。♪遠い日は二度と帰らない・・・「京都慕情」の歌詞に郷愁を感じる今日この頃、思い出は走馬灯のように駆け巡る。