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一期一会ー末川博先生との出会いそして別れ

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望月 由孝さん
1973年年卒/法学部
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2017.8.30
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一期一会
末川博先生との出会いそして別れ

私と末川博先生との出会いは、先生の自叙伝、岩波新書『彼の歩んだ道』です。当時私は高校3年生で大学受験を迎えながら「人生問題」に悩み、受験勉強どころか「生きた屍」のような毎日を送っていました。
人生に悩む私を見て6歳上の兄が一番気遣ってくれ、一冊の本を与えてくれました。それが末川先生の『彼の歩んだ道』です。その本のどこに私がひかれたかと言いますと、先生が第三高等学校在学中、18歳のときにやはり「人生問題」に悩んだと書かれていたからです。そしてそこに書かれていたことは、私が体験したことと同じような症状で、末川先生がすごく身近に感じられました。
先生は「人生は無意味だ」と思い、三高をあとにして郷里の山口県に帰られたのですが、1年後発奮して三高に戻られ、その後京大、大学院、京大教授、立命館総長という人生を歩まれました。先生はその本の中で、「人間というものについて考え悩んで一年を棒にふったことは、私の人生行路にとっては、ムダどころか、実にありがたい体験であったように思う。」「苦しむ時には苦しむがよい。悩む時には徹底して悩むがよい。迷うときにはとことんまで悩むがよい。だが、どんなに苦しみ迷うても、自殺だけはせぬがよい。若い諸君は、そのとうとい未来と生命だけは大切にして、生きて生きて生きぬかねばならない。」と書かれており、私は大きな勇気と光明を与えられました。
立命館大学は東京で受験できましたので、翌年私は親に内緒で受験しましたが、その日は珍しく東京は雪でした。そのあと2月下旬に第一志望の京都大学を受験するために上洛しましたが、その日も雪でした。
3月5日に京大の受験は終わりましたが、市内は一面の銀世界でした。その日の午後私は先生のお宅に突然お邪魔をしました。先生は運よく在宅で、見も知らぬ私を書斎に通してしばらく私の話を聞いてくださいました。私は先生との面会に感動し、立命館大学法学部に進学することを決意しました。
その後私は紆余曲折を経て高校教師となり、一昨年41年間の高校教師生活に終止符を打ちました。24年前からは大学でも教職科目を教えるようになり、それは現在も続いていますが、どの科目を担当する時もその根底になっているものは末川先生から教わった「生きることの大切さ」「学び続けることの大切さ」です。私は高校3年生の「最後の授業」で私が体験した「人生への懐疑」「末川先生との出会い」などの話をするのですが、毎年、何人もの生徒が「私も人生に悩んできましたが、先生の話を聞いて安心しました。生きる勇気が湧いてきました」と感想を述べてくれました。
1977年2月16日、末川先生は永遠の眠りに就かれました。その朝、東京は珍しく小雪がちらつきました。先生の告別式の日、京都はかなり冷え込みましたが、出棺時、先生の棺の上ににわかに激しい雪が降りそそぎ、参列者の悲しみを一層深めました。

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