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腹が減っては戦ができぬ

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森 弘史さん
1992年卒/法学部
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2017.9.20
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腹が減っては戦ができぬ

 当時田舎の進学校から上洛したばかりの私は、自炊も未だおぼつかない青二才でした。立命の法学部で与えられる課題は新入生の時が一番大変で、学業のかたわら生活する(食べてゆく)ことの困難さをいやというほど感じさせられました。そんな折、ことあるごとに下宿から外へ出て外食するのですが、生まれて始めての関西、いや京都の食に対する太っ腹がその当時の私の学生生活を天国にしてくれました。良くも悪くもパラダイスキャンパスとは正にバブル時代=立命館大学を指した言葉と言って疑いの余地はないでしょう。現代では笑われてしまうDCブランドの全盛期にあって、真逆の雰囲気をかもし出していた立命大キャンパスの食堂は、いつもこれでもかといわんばかりのボリュームと、安くてメニュー豊富な学生向け定食が常時ラインアップしていたものでした。メインの存地下食堂は言うに及ばず、夏の暑い日の夕方、今では移転した産社のそばを通ると、いつもその地下にある食堂から絶えずもわ~っと、或は、まったりとしたおいしい匂いがあたりに充満していて、地方のエリート進学校から出てきたプライドなどこっぱ微塵に吹き飛ばされていたものです。何物にも変えられない幸せが確かにそこにはありました。当時、おしゃれとは言い難い緑色のプラスチックトレーに自分で選ぶ単品の惣菜類小皿に加え、学生好みのこってりとした油物類に得も言えぬ幸せが本当にありました。できることなら田舎の家族達にも食べさせてあげたいと思ったくらいです。苦学生で有名な立命館とは全く正反対で、まるで外国の国王が大使館で食する日本料理をはるかに越えていたと思います。今から思えば、私が単におあがりで、東日本出身の子供だったからなのでしょうか。舌の肥えた周りの友達を裏目にし、内心は正真正銘の満足感を得ておりました。
 当時「王将」を知らなかった私が始めて店に入った日のこと、「いらっしゃ~い」。いかつい男の店員ばかりが熱風吹き上げる厨房にいて、「何しまひょ?」。私はとっさに「中華丼ください」と小声で注文しました。すると店員、「ちゅうどういーがー」。「あいよー」。19,20才程度の私は萎縮してしまいます。あっという間に目の前に注文品を出してくれます。圧巻は精算の時です。「兄ちゃんのちゅうどんなー。280円、それと烏龍茶サービスやわ、おおきにまた来てな~」。田舎だと450円から800円ぐらいが相場です。今から思えば私のカルチャーショックと天国の始まりでした。等持院近くのジャンボお好み焼きや、ドデカイ丼にゼリーのようなあんかけしょうがうどん屋さん(失礼、たぬき)でした。青春多感な時期を過ごさせていただいた立命館大学、そして京都の思い出は、偏屈な私を「僕」に変えてくれた永遠の宝物です。近くまた京都、母校に会いたいです。

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