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下宿から広小路校舎へ

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尾崎 聡さん
1978年卒/文学部
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2017.9.25
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下宿から広小路校舎へ

 昭和49年の入学式は、春闘のゼネストのため、延期して行なわれました。
 市電は、東西の2路線だけ残っていました。
 1回生の頃、山科から京阪京津線という、3両編成の電車で京阪三条まで向かいました。徒歩で鴨川沿いに歩いて、広小路まで通いました。北東には、比叡山がよく見えました。冬は、野鳥もいました。
 2回生から、同志社の学生会館の近くの下宿から、同大・同女大を経て、御所を通って、大学まで行きました。
 広小路校舎は、古くて狭いのに、法・文学部の学生も多く、毎朝、色々な団体がビラを配り、たまに立看も立っていました。周辺には、安い料金で食事を提供する中島がありました。また、「二十歳の原点」ででてきたシアンクレールという喫茶店も救済会館という新興宗教団体の建物もありました。現在府立医大の駐車場になっているようですが、一度医大病院で、病気を診てもらったら、インターンの学生がいっぱい来て、面食らいました。
 クラブは2回生からESSに入り、昼の活動はこちらで行ないました。夕方の活動は広小路から衣笠まで5円でいけるスクールバスに乗って行きました。乗れない時は59番の市バスで出かけました。衣笠は、広小路より広く、新しいキャンパスでした。食堂・図書館も新しくきれいでした。
 普段のスクールライフは、最初朝からラーメンを食べていましたが、気持ち悪くなり、学校で朝・昼・夕食を食べることが多くなりました。下宿は立命は私一人で、同志社・京大の学生がいました。トイレは共用で、フロは銭湯へ行きました。時々、同志社の相撲部の学生がいて、体が大きくてびっくりしました。
 昭和49~53年は、オイルショックでの狂乱物価の時期もあり他大学のヘルメットの学生もいたましたが、まあ楽しい4年間でした。

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