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銀閣寺参道の下宿

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杉原 正行さん
1980年卒/法学部
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2017.9.25
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銀閣寺参道の下宿

 当時、校舎は河原町通広小路にあり、生協の3度目の紹介で決めたその下宿は、観光客で賑わう銀閣寺参道の土産物屋さんの2階でした。大学へは、神戸市長田区の実家から通えないほどの距離と時間ではなかったのですが、そこは一人っ子の特権で、無理を言って贅沢をさせてもらいました。
 六畳一間の部屋には机と冷蔵庫があるだけで、賄いや風呂もなく、トイレへ行くにも庭へ降りて用をたさなければならず、齢60をこえ夜中に起きる回数も多くなった今ではとても考えられない環境でした。
 風呂といえば、白沙村荘の近くに銀閣寺湯という銭湯があり、そこでの羨ましくも妬ましい光景を思い出します。巷は、かぐや姫の神田川という曲がヒットして数年後の頃で、男湯と女湯との間で「外で待ってる」「ハーイ」とかいうカップルのやりとりが何組もあり、森見登美彦氏流に言えば、『呪いの言葉をわめき散らし』たいような気分によくなったものです。その銭湯の近く、白川通今出川の交差点から銀閣寺へ通じる途中の疏水添いの小径は、4月の桜の花の散り際にはピンクの絨毯を敷いたような美しさで、私にも銭湯でのカップルのように、いつか春が来るのではという妄想を抱かせてくれました。十数年前、京都へ遊びに行った折、この小径を訪ねたのですが、実家への連絡によく使った公衆電話が、代替りはしているのでしょうが、その時も残っていたのには驚きました。
 私が入学した昭和50年は、市電が走っていて、最寄の停留所から乗車する乗客のなかに、府立医大病院前で下車して医大へ向かう美人の学生さんがいました。通学時、見かけるのを楽しみにしていましたが、彼女の唯一の欠点は、腕を前後に大きく振って歩くことでした。市電が市バスに代ってからはあまり見かけなくなったのですが、美人ゆえ虫が寄りつかないよう防御していたのかもしれませんね。お医者さんか看護師さんを立派に勤めあげ、今は引退されているのでしょうか。
 食事はというと、一年生の後期には3,4人の友人ができ、彼らと生協食堂を利用したり、昼食には御所近くの通称「小御所」こと青山という喫茶店でインベーダーゲームをしながら青山弁当を食べたりしました。この友人達がいなくて一人のときは、荒神口にあったジャズ喫茶しあんくれーるに入り浸っていたものでした。また、ジャズといえば、同志社大学の学園祭でソニー・ロリンズのコンサートを聞きにいった帰り、下宿に到着したときには門限を過ぎ、裏口の扉は閉ざされていました。10月とはいえ参道で一夜をやり過ごすわけにもいかず、木枠とトタン張りの扉に拳を血だらけにしながらも部屋へたどり着いたこともありました。
 卒業から15年後、実家は震災で焼失、下宿探しに同行してくれた母も現在は認知症。今となっては、かけがえのない楽しい下宿生活を送らせてもらいました。

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