友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。
立命館大学吉田寮
「京都市左京区吉田牛の宮町24」この住所に、立命館大学吉田寮があった。東大路通りの当時の市電「東一条」の電停と、鴨川との中間に位置していた。何しろ昭和34年である。寮の造りは勿論木造で2階建て、その上「つっかい棒」がしてあった。食堂・風呂・便所と洗濯場は別棟、便所はボットン式、洗濯機はなく洗濯槽式。ストーブは使えず火鉢。京都の底冷えの寒さが堪えました。広くはない庭には、銀杏の木が数本植わっていた。従ってファイヤーストームは盛んにやった。京都大学の寮も傍にあり静かな住宅地でした。その当時の舎監は、「経済哲学」の梯 明秀名誉教授ご夫妻で、慈愛に満ちた先生でした。寮生は1回生から4回生迄で35名、運営は非常に民主的で、入寮後半年間だけは2人部屋、その後の毎年毎の部屋替えは抽選で、1回生の後半からは1人部屋も可能だった。当時のエピソードを紹介してみよう。
その1 友人が、洗濯槽に粉石鹸と洗濯物を入れ、汚れているので暫く漬けておくと言って、一週間放置していたら、「ボウフラ」が沸いていた。
その2 夜だけ開くラーメン屋「たぬき」。百万遍寮の南にあった食べ盛りの学生に人気のラーメン屋で、小母さん2人で営業、確か一杯40円だったのでは・・・。
その3 廃寮が決まった時、寮を訪れたら、食堂の壁に、「炭鉱を出て 四年(ヨトセ)の月日過ぎ去りて 寮(イエ)と別れてさいはての地へ」と書いてありました。
多感な時期の4年間を吉田寮で過ごした、同期の寮友12人が旧交を温めようと集い出して10年、今年も11月中旬嵯峨嵐山で泊まり、紅葉真っ盛りであろう嵯峨野を散策します。今年の参加者は8~9人になりそうです。